濱の明石焼は明石の魚棚市場できたえられました
そこにはたくさんの暖かい出会いがあったそうです
先代の「おやっさん」濱田光輝氏は頑固な職人
奥様の「おばちゃん」安紀子氏は働き者で商売人
夫婦のコラボでスタートしたのは1973年(昭和48年)「たこ焼」でした
以降「濱の明石焼」を育て 1997年(平成9年)に息子の光一氏にまかせ
現場を引退されるまで 努力を惜しまず「働きまくった」そうです
そもそも「神戸のたこ焼き」は明石に近い事もあり
おだしで食べることも普通に受け入れられており
「ソース&だし」を注文するお客さんも少なくありません
そんなニーズに応えようと ソースにだしを加えて
「だしソース」の開発も試みられておりました そんなある日
「明石焼をすればいいのに・・・・」と言う知人の一言に
ここまでくれば明石焼もいける!と考えたそうです
将来神戸に店を構える夢を持っていたおやっさん夫婦は
「濱の味」を完成させる為 材料の配分や卵の量のバランスを
1から何度も改良し 道具や焼き機まで別注しました
大事なタコも大きさからゆで加減まで吟味し
「これでどうだぁ」と完成させた「濱の味」は
なんと生地にだしの風味を加え「つけだし無用の明石焼」だったのです
おやっさん夫婦がここに行き着いたのには理由がありました
当時「明石の魚の棚」で週に2,3回出店を出し
明石焼の伝統を知る 地元の方や
淡路や四国からフェリーでやって来る方に
いろんな意見を聞きながら開発・改良したのです
例えば 買い物をしながら食べたいとか
おやつ代わりに簡単に食べたいけどつゆを暖め直すのが手間だとか
買い物を終えてフェリーで明石焼を食べると
どうしてもつゆが先に冷めてしまってるそうで
だしにつけなくてもだしの風味が保たれた
本来の「玉子焼」と変わらぬ美味しさを追求したのです
さてそんな「濱の味」が完成し魚の棚でも受け入れられた頃
地元神戸で念願だった「明石焼濱」の開業を果たし
「濱の味」と相性のいい「つゆ」の製作にかかりました
「最後に残ったつゆをコクッと飲み干すくらいが丁度いい」と
あっさり味で香りの良いシンプルなつゆに仕上がりました
器や板を新調するのにもあれこれこだわって厳選したそうです
おやっさんは「目で舌で楽しんで頂く」事を第一に考えてきました
そんなおやっさん夫婦に「濱田はん 百貨店に出店しませんか?」と
明石魚の棚青年会の皆さんが声をかけてくれたそうです
なんと兵庫県の物産協会や観光連盟が
百貨店を中心に全国的に展開していた「明石魚の棚まつり」のイベントに
一緒に行こうと誘ってくれたそうです
「明石魚の棚まつり」に「明石焼」がないのは
寂しいと言う声があったのと
魚の棚の明石焼屋さんは移設可能な道具を
持っていない事もありました
百貨店によっては焼きたてを食べていただく為の茶席を設けてくれる所もあり
おやっさんにとって全国の百貨店で実演販売をするなんて夢の様な話でした
コツコツやってきたおやっさん夫婦に
次から次へ百貨店から問い合わせが入り
息子の光一氏が「出張部隊」として
全国を駆け回ることに・・・・
こうしてたくさんの暖かい出会いがあって
「明石焼濱」の味が完成した事を
おやっさんは今も感謝しています
その「思い」と「頑固なこだわり」を背負い
息子の光一氏(現在社長)は
今も全国を駆け回っています
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